made with in yokohama

                           

SHOPPING GUIDE

BULL ORIGINALの経緯

※ うる覚えではありますが... 記憶を辿っても思い出せない若干のズレが有る部分も有りますのでご了承下さい。
1991 
当時、自分で身に付けたい様々なシルバーアクセサリーを探したが、気に入った物が見つからず、無いなら自分で作ろうと決意した。そんな安易な素人の思いつきでアクセサリーの製作を始めるが、勿論当時はインターネットも普及している時代ではない為見よう見まねで試行錯誤しながらのスタートとなったのは言うまでもない。この当時は店舗も無く、頼まれた物と自分用のアクセサリーを作るのが主だった。
1992 
独学で始まったシルバーアクセサリー製作から、ハンドメイドで作る楽しさを覚え革細工に興味を持つことになる。勿論、独学なのでありとあらゆる物を分解し、仕組みを覚える事に。。。相当色々な物を分解する事になったが。。。分解した物は全てバラバラの状態のまま、組み立てられる事は無かったのも言うまでもない。この当時も店舗は無く、頼まれた物と自分の欲しい物を作るのが主だった。
1999
数年間の間、趣味の延長の様なスタイルで行っていたアクセサリー製作だったが、ひょんな事から自宅兼SHOPとして使える電気すら引かれていない無い"築60年程"の広さも丁度良い物件がみつかり皆さんに様々なご協力を頂き改装。SHOPと工房をひっそりとOPENする事になる。この当時は、シルバーアクセサリーの製作は行っておらず、革製品の受注を主に古着屋時代に収集していたビンテージクロージングやヘルメット等も販売するお店として始まった。毎日店前で(皆様からの寄付)BBQをやって食いつないでいた時代でもある。
2001
北海道の厳しい冬を越え、人並み以下だが何となく生活が出来る様な売上げになり店らしくなって来ていたのだが"冬場に幾度も経験する言葉を"上手に話せないと言う現象に悩まされる。通称、一酸化炭素中毒と言うが 先々の身の危険を感じて居たのと何も無い場所に向かって愛犬が夜通し猛烈に吠えるのと真夜中に聞こえる不思議な物音も気になっており引越を決める事となる。次の引越先も自宅兼SHOPとして移転し一回目の移転となる。丁度この時期に、札幌市内の今はなき、某テナントビルに入る事になり自宅兼工房と市内テナントビルにSHOPを構える運びとなる。
2002
当時、活気のあった某テナントビルに入り相変わらずだが何となくの生活が出来て居たものの、テナントビル内の店舗移動回数の多さとビルの集客の要となっていたテナントが撤退し、それに伴うのは皆様のご想像にお任せしそれ以上言う迄もないが、やはり大打撃には変わりないので一大決心をし移転。場所は、市内中心部より少し外れた場所で クリームソーダや、TATTOOショップ、等が並ぶアンダーグラウンドな一階路面店になる。この頃から 革製品、シルバー製品、洋服、カスタムシート等の全てを店内工房で一括し製作していた。現在のBULL ORIGINALの基盤になった年でもあるが、自分のやりたい事が中々出来ず非常に"もやもや"していた時期でもある。
2004
行動力と思いっきりの良さ。コレだけで生きて来たと言われても過言では無いのですが、今迄培って来た事全てを苦渋の決断で後にし今迄の店舗で使っていた什器や商品、道具類を2台の車とJRさんにコンテナを依頼し海を渡り大掛かりかつ引越貧乏が板につきつつある三回目の横浜大移転。(札幌時代にお世話になっておりましたお客樣方大変申し訳御座いません)まるで夢を抱き大国に亡命する移民の気持ちだった。そんな横浜では、人生初の共同経営と言うものを経験したがビジネスライクになりきれない自分のスタンス、人生観の相違、根本的な感覚の相違で出鼻を挫かれると言うよりかは "複雑骨折" で一年も保たずに共同経営を終了する事になる。結果的には早く気がついて正解だった。
2005
この年は店舗が見つからないは 前店舗の移動やらで田舎から都会に出て一年目のお上りさんもさすがに放心状態。右も左も分からないままも持ち前の行動力と思いっきりの良さと若干の若さ?と協力頂いた方々のお陰で店舗も決まり、縁起の悪い四回目の移転となる。引越貧乏を取り戻すべくヤケクソ状態で必死で働きまくっていた。お陰で念願の”MOTOR CYCLE"部門を開設し、様々なSHOP様のご協力のもとカスタムバイクプロデュース業も始まった年。昼間は店で仕事をし、夜は運転手の様にSHOPからSHOPとひたすら走り回っていたが、8/18 バイクで走行中に事故に遭い帰らぬ人になりかける。ただ直進していただけなのに持ち前の見た目の悪さで何故か悪者になる。悪運も強く回復もしたが、まともに動けず呼吸器付の車椅子状態となる。やはり保険は一銭もおりずな状態でお先真っ暗ではあったもののこの時も多くの皆様に助けられ病院から度々 "外出許可" を貰い仕事もこなす。全て自腹での入院生活が始まったが 当初の入院期間の半分で自主退院し復帰? この頃のリハビリ不足が後にたたる事は知る由も無い。そして、同年には"HOTROD CUSTOM SHOW"には事故車を展示した。
2006
怒濤の如く過ぎ去った年でもあるがとにかく貧乏街道まっしぐらで始まった年。全て自腹の入院生活で破綻寸前。死にもの狂いで働くと言う事を"身をもって体験"させて頂いた貴重な一年で異常な程のカスタムシートの数を作った年でもあった。そして、昨年同様様々なSHOP様のご協力のもとカスタムバイクプロデュース業も継続しバイク部門では2度目の"HOTROD CUSTOM SHOW"に挑み昨年の事故で廃車寸前のバイクを復活させ、 "El Sagrado1947 U"(神聖なる物)として展示し"MoonEyes USAアワード"、"JeffDeckerアワード"を受賞する事となった。自分自身が出来事を記憶出来無いくらい目紛しい一年でもあった。
2007
バイク工場(極狭な掘建小屋)を開設し 五回目の移転。そこで初めて製作された バイク" Purpleen1949"を出展し3度目の"HOTROD CUSTOM SHOW"ではHOTBIKEアワードを受賞、この年も出来事を記憶出来無いくらい目紛しい一年であった為 あまり記憶に御座いません。
2008
バイク工場六回目 車一台の掘建小屋の様な工場から 車ニ台分+αの作業スペースに移動する。それに寄って
少し離れた場所にはなったが、バイクの収納スペースや作業場所が拡大し カスタム屋らしくなった。新工場で製作した車両を 4度目の"HOTROD CUSTOM SHOW"に " El Sagrado2 Shovel"を出展し HCCアワードを受賞。そして、この年も出来事を記憶出来無いくらい目紛しい一年であった為あまり記憶に御座いません。
2009
B.S.M.G クロージング部門が開設され 念願だった洋服等のラインナップがより一層充実。写真家;Estevan Oriol氏、SA Studioの協力のもと撮影された 記念イメージカタログも製作。同時に、ローランドサンズと幾度となくミーティングを行っていた "RSDプロジェクト"がスタートする。そして、5度目となる恒例の"HOTROD CUSTOM SHOW"では" El Sagrado3 Evo" がLOWRIDEマガジン アワードを受賞。
2010
人生の一大決心で 店舗の拡大と統合を行い移転、通算七回目となるが これで当面落ち着けると言う判断の元で決行。何も無いスケルトンの状態から 多くの皆様のご協力のもと、人生で初となる自分の理想的な空間を完成させる事が出来た。そんな状況だった為 恒例の"HOTROD CUSTOM SHOW"には SHOW BIKEでは無く 2009年からスタートした"RSDプロジェクト"の一号機 "SickSter"を展示し、いま迄の集大成となる歴代の"El Sagrado"シリーズを展示し、2006年に製作した"El Sagrado1947 U"が再び"Ol Schoolマガジンアワードを受賞。
2011
移転後数ヶ月が経ち やっと新店舗にも慣れて来た頃。日本全国で全ての歯車が狂うキッカケになったが3/11におきた大震災で 多くの方々が被害にあわれ、東北地方の多くの人々や歴史が失われた この震災を境に日本中の多くの人々の考え方や行動や物や事が変わった一年だった。そして、自分自身も様々な事を考えさせられた一年だったとも思う。その考えた末に" 初心に戻る " と言う結論が自分の中で沸き起こり 物作りを始めた年 1991年 自分な何を考え何を作っていたのかと言う事を見つめ直し BO/AC(アクセサリー)の製作に再び取り掛かる事を決意した年でもある。"HOTROD CUSTOM SHOW"には SHOW BIKEでは無く 2009年からスタートした"RSDプロジェクト"の各ラインを展示した。
2012
昨年の出来事を機に心に決めた" 初心に戻る " と言う事を念頭に BO/AC(アクセサリー)ラインも順調なスタートを切る事が出来取扱い店舗様にも恵まれた一年。2011年同様、それ以上に様々な事を考えさせられた一年だった。"HOTROD CUSTOM SHOW"には SHOW BIKEでは無く 2009年からスタートした"RSDプロジェクト"の車両等を展示。 早い物で 2012年12月で13周年となり 現在に至る...